書を捨てよ町へ出よう

早稲田小劇場と黒テント

アングラ四天王と呼ばれた【早稲田小劇場】と【黒テント】ですが、このアングラ小劇場がこの時代を牽引して小劇場ブームを巻き起こしました。

早稲田小劇場

通称は早稲小(わせしょう)などと略して呼ばれる早稲田小劇場ですが、小劇場運動第一世代の象徴でもあり、早稲田小劇場は早稲田大学の学生演劇から生まれました。演出家の鈴木忠志は、早稲田大学在学中に脱新劇を目指して学生劇団「自由舞台」を創立しました。大学卒業後の1966年(昭和41年)に「自由舞台」から「早稲田小劇場」と改称しました。同劇団には、劇作家の別役実、俳優の小野碩らが在籍して、小劇場運動の旗手としての役割を果たしました。「早稲田小劇場」は劇団の名称でもありますが、同時に鈴木が運営していた劇場の名称でもあります。早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」の2階にありました。現在は早稲田大学が所有していて名前を、「どらま館」と名称を変えて、学生に演劇発表の場として提供されています。「早稲田小劇場」は1976年(昭和51年)活動の拠点を富山県利賀村(現南砺市)に移しました。1984年(昭和59年)には「SCOT(Suzuki Company of Toga)」と改称しています。

早稲田小劇場出身者

  • 古屋和子
  • 五大路子
  • 青山吉良
  • 小田豊
  • 白石加代子
  • キャメロン
  • 千賀ゆう子
  • 高橋美智子
  • わりさや憂羅
  • 木内里美

鈴木忠志

「早稲田小劇場」を立ち上げたのは鈴木忠志です。

早稲田大学政治経済学部に在学中に、学生劇団「自由舞台」に参加しました。劇作家の別役実たちと知り合い、本格的に演劇活動を開始しました。

大学卒業後に、劇団「早稲田小劇場」を結成して、早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階(現在は、早稲田大学が所有「どらま館」へと改称)に劇場をかまえて、活動を続けました。女優の白石加代子は、「早稲田小劇場」の看板女優として活躍しました。

1976年(昭和51年)から富山県利賀村に活動の拠点を移しています。それ以来、合掌造りの利賀山房など5つの劇場を舞台に作品を作り続けています。利賀での活動は世界からの注目を集めて、利賀村は一躍世界の演劇人の交流の聖地と言われるようになりました。

1982年(昭和57年)からは、毎年、国際演劇祭利賀フェスティバルを主催しています。同年、芸術選奨新人賞受賞しました。1984年には、「早稲田小劇場」から「SCOT」(鈴木カンパニー・オブ・トガの略称)へと改称しました。唐十郎、寺山修司たちとともに、1960年代におこった新しい演劇運動の代表的な担い手の一人でもあります。

1974年(昭和49年)、岩波ホール芸術監督就任。1989年(平成元年)水戸芸術館芸術総監督を経て、1995年(平成7年)に静岡県舞台芸術センター芸術総監督に就任しました。

2000年(平成12年)に演劇人の全国組織・舞台芸術財団演劇人会議理事長に就任しました。

1994年(平成6年)、テオドロス・テルゾプロス(ギリシャ)、ロバート・ウィルソン(アメリカ)、ユーリ・リュビーモフ(ロシア)、ハイナー・ミュラー(ドイツ)たちと共にシアター・オリンピックス国際委員会を結成しています。

1995年(平成7年)第1回シアター・オリンピックスは、アテネ、デルフィで開催されました。また、1994年(平成6年)、韓国の金義卿(当時の韓国国際演劇協会会長)、中国の徐暁鍾(当時の国立中央戯劇学院院長)とともに日中韓3カ国共同の「BeSeTo演劇祭」を創設しました。

主な演出作品に、『劇的なるものをめぐって』、『トロイアの女』、『ディオニュソス』、『リア王』、『シラノ・ド・ベルジュラック』、『オイディプス王』、『エレクトラ』、音楽劇『カチカチ山』、『ザ・チェーホフ』、『別冊谷崎潤一郎』、『サド侯爵夫人』、『AとBと一人の女』などがあります。

2004年(平成16年)モスクワ芸術座に招かれて『リア王』を演出しています。この作品は、同劇場のレパートリーとして定期的に上演されています。

また、2007年(平成19年)にはモスクワ・タガンカ劇場で『エレクトラ』を演出し、こちらも同劇場のレパートリーになっています。戯曲のせりふや、演劇的シチュエーションを内面心理だけではなく身体感覚で裏付けることの重要性を説いて、「スズキ・トレーニング・メソッド」と呼ばれる独自の演劇訓練法を編み出したことは、現代演劇における大きな功績であると言われています。

ケンブリッジ大学が刊行している20世紀を主導した演出家・劇作家21人のシリーズに、メイエルホリド(ロシア)、ベルトルト・ブレヒト(ドイツ)、ロバート・ウィルソン(アメリカ)、ピーター・ブルック(イギリス)、アリアーヌ・ムヌーシュキン(フランス)などと共にアジアの演劇人としてただ一人選ばれていて、すでに『The Theatre of Suzuki Tadashi』として出版されています。

情報誌「imidas2001」(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、演劇の分野で、小山内薫(作家・演出家、築地小劇場創立者)、小林一三(阪急・東宝グループの創立者)、大谷竹次郎(松竹株式会社の創立者)、杉村春子(女優・文学座)、浅利慶太(演出家・劇団四季代表)たちと並んで6人のうちの1人に数えられていて、「理論・実践・教育・組織運営における新しい演劇人の在り方を示す代表的な存在」と評されています。

黒テント

状況劇場は紅テントでしたが、こちらは黒いテントで旅公演を行っていた劇団だったので「黒テント」の名が付きました。

1968年(昭和43年)に、六月劇場(津野海太郎たち)、自由劇場(佐藤信たち)、発見の会(瓜生良介たち)が共同で「演劇センター68」を創設しました。翌年、発見の会」のメンバーが脱退して、「演劇センター68/69」と改称します。

1970年(昭和45年)から黒テントを使っての、移動演劇を始めました。名称を「演劇センター68/70」と改称しています。1971年(昭和46年)「68/71黒色テント」と改称して、現在は「劇団黒テント」が正式名称になっています。

黒テント主な人物

佐藤信・・・演出家、劇作家

1969年(昭和44年)『おんな殺し あぶらの地獄』 第4回紀伊国屋演劇賞(個人賞)・ 1971年(昭和46年)『鼠小僧次郎吉』 第16回岸田戯曲賞・ 1991年(平成3年)『まほうのふえ 魔笛』など 第10回中島健蔵音楽賞・ 2003年(平成15年)『ルル』 日本ペンクラブ賞を受賞しています。

津野海太郎・・・演出家でも執筆活動もしています。和光大学名誉教授。

2003年(平成15年)坪内逍遥伝『滑稽な巨人』で新田次郎文学賞受賞、2009年(平成21年)『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞しています。

斎藤晴彦・・・俳優

1986年(昭和61年)~2年間「11PM」のメイン司会も務めていました。代表作は『放浪記』の菊田一夫役です。

山元清多・・・演出家、脚本家

劇作家として1983年(昭和58年)『比置野ジャンバラヤ』で第27回岸田國士戯曲賞を受賞しています。脚本家として、テレビドラマなどで多くのヒット作があります。