書を捨てよ町へ出よう

寺山修司と競馬

寺山修司が競馬と出会ったのは、1956年(昭和31年)の時にネフローゼで入院していた時に、同室の韓国人から賭博と競馬を学びました。

1962年(昭和37年)、山野浩一(競馬評論家・小説家・脚本家)と親しくなったころから足繁く競馬場に通うようになりました。

1963年(昭和38年)、牝馬ミオソチスに心酔してことをキッカケに、競馬エッセイを書き始めました。そして競馬を人生やドラマになぞらえて語るなど、寺山修司独特の語り口で人気を博していきました。

1964年(昭和39年)には、TBSテレビのドキュメンタリー番組『サラブレッド・我が愛』の台本と構成を手掛けています。

1965年(昭和40年)に、八百長疑惑が持ち上がった【たちばな賞】のパトロールフィルムを大川慶次郎、虫明亜呂無とともに見た寺山修司は「どこが八百長なのか分からない」と発言して、八百長疑惑を否定しています。

1968年(昭和43年)船橋競馬のある騎手から「寺山さんのエッセイは中央競馬寄り」という批判を受けたことをきっかけに、「ユリシーズ」(南関東)の馬主となりました。

1970年(昭和45年)からは報知新聞競馬面に「寿司屋の政」、「バーテンの万田」など多彩な人物を登場させて競馬を予想した『みどころ』『風の吹くまゝ』というコラムを連載しています。これは1983年(昭和58年)4月の、死の直前まで続いたコラムになりました。

この報知新聞のコラムは、それから後にJICC出版局から書籍にまとめられて、シリーズ出版されています。

競馬界のスポークスマン的存在で、1973年(昭和48年)には日本中央競馬会(JRA)のコマーシャルに出演しています。『カモメは飛びながら歌を覚え、人生は遊びながら年老いていく』という自作の詩(ディレクターを務めた武市好古によると、「遊びについての断章」という長い詩を、CM収録時に編集)を朗読しています。

1974年(昭和48年)にハイセイコーが引退すると、引退記念レコード『さらばハイセイコー』の構成と詩の朗読を行なっています。

1978年(昭和53年)の日経新春杯でテンポイントが骨折して、2か月後に死亡すると、追悼詩「さらば、テンポイント」を残しています。この詩は関西テレビのテンポイント追悼特集番組『風花に散った流星』で紹介されました。

1978年(昭和53年)6月には、NHKが製作した『ルポルタージュにっぽん』「ダービーの日」という番組に進行役として出演しています。同年5月28日に開催された日本ダービーでの「東京競馬場の長い一日」を、レースに騎乗する福永洋一・岡部幸雄・伊藤正徳の同期3名の騎手を中心に、調教師、観客らの姿にスポットを当てて描くというドキュメンタリーの形で綴っています。

1981年(昭和56年)カブトシロー薬殺未遂騒動の際には、寺山修司を中心とした10人の競馬ファンの連名で中央競馬会に抗議文を提出しています。

1982年(昭和57年)に寺山が選んだ「私の忘れがたかった馬ベスト10」(競馬放浪記あとがき)はミオソチス、カブトシロー、モンタサン、ホワイトフォンテン、テンポイント、ハイセイコー、メジロボサツ、ユリシーズ、タカツバキ、テキサスシチー、(番外ダンサーズイメージ)。

騎手では中島啓之、のちに吉永正人を贔屓にしています。まだ人気にも話題にもなっていない頃から彼らを熱心に取り上げていて、「ダービーに勝つまで書き続ける」のが常でした。

中島、吉永と共にダービー制覇を成し遂げていますが、吉永正人がミスターシービーで悲願達成したシーンを見届けることは、肝心の寺山修司がダービー開催の3週間前に急逝したために叶いませんでした。

前述の報知新聞競馬面予想コラム『風の吹くまゝ』の最終回は、1983年皐月賞の当日でした。寺山は『勝つのはミスターシービー』とコラムに記して、吉永とミスターシービーの勝利を確信していました。

作品集

エッセイ&評論

  • 1965年(昭和40年)・・・戦後詩
  • 1966年(昭和41年)・・・みんなを怒らせろ
  • 1966年(昭和41年)・・・競馬場で合おう
  • 1967年(昭和42年)・・・書を捨てよ、町へ出よう
  • 1969年(昭和44年)・・・対談・競馬論
  • 1971年(昭和46年)・・・馬敗れて草原あり
  • 代表歌

  • 【空には本】より・・・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
  • 【空には本】より・・・マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
  • 【血と麦】より・・・ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し
  • 【田園に死す】より・・・大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

俳句・短歌・詩

  • 1957年(昭和32年)・・・われに五月を (第一作品集)
  • 1957年(昭和32年)・・・はだしの恋唄 (1957年)
  • 1957年(昭和32年)・・・櫂詩劇作品集 (1957年)
  • 1958年(昭和33年)・・・空には本 (歌集)
  • 1962年(昭和37年)・・・血と麦 (歌集)
  • 1965年(昭和40年)・・・ひとりぼっちのあなたに (1965年)
  • 1965年(昭和40年)・・・田園に死す (歌集)
  • 1965年(昭和40年)・・・長編叙事詩・地獄篇
  • 1971年(昭和46年)・・・寺山修司全歌集(1971年)
  • 1973年(昭和48年)・・・わが金枝篇(句集)
  • 1975年(昭和50年)・・・花粉航海(句集)
  • 1986年(昭和61年)・・・寺山修司俳句全集